再生デザインと軍艦島の動き
中村享一
世界文化遺産アジア学術検討会講演 in 北京
World CulturalHeritage Asia Academic Symposium in Beijing 2004.11.01
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1997年長崎の歴史的に意味のある建築物が解体されようとしていました。建築物は被爆地長崎が国際文化都市建設の為の事業として特別の意味を持って計画がなされ、1959年に長崎水族館(第3セクターによる運営)としてオープンされた建築物でした。
2期3期まで拡張する計画がありましたが、財政的に行きづまり閉鎖されてしまいました。私は、水族館としての使命が終わったとしても国際文化都市建設の為の文化施設としてはまだ、活用を求めると提案しました。内部の機能や周辺環境を更新し、地域との繋がりを強化できるよう計画を作成し、水辺の環境実践教育施設としての提案を行いました。
現在建物の半分が残り長崎総合科学大学の施設として利用されていますが、地域との関係や再生の方向付けが中途半端な結果になっている様に感じます。
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