再生デザインと軍艦島の動き
中村享一 世界文化遺産アジア学術検討会講演 in 北京 World CulturalHeritage Asia Academic Symposium in Beijing 2004.11.01
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3年後の1994年に「21世紀に残す試金石」というタイトルの展覧会が福岡で開催されました。「長崎の軍艦島を21世紀への試金島へ」と提案しました。
軍艦島は長崎半島の南西に浮かび、炭坑の島として発展しました。1974年、炭坑の閉山とともに無人島になりましたが、日本の近代建築史上きわめて貴重な宝島です。
大正時代には9階建ての鉄筋コンクリートが群をなして並び、一時は人口密度が世界一になった時もあります。厳しい自然環境の中で人工的に作られた海上都市であり、島の中には映画館、幼稚園、マーケット、病院等が整っていました。又、水と緑は大変貴重なものとして取り扱われていました。
1990年代、私達は地球規模での環境を考えなければならない時を迎えました。軍艦島はそのことに多くのことを語りかけています。
近代産業の問題、高密都市の問題、自然環境の問題…。「軍艦島は21世紀の試金島になり得るか!」と提案しました。写真は全て約半紀前のものです。しかしまた、反応がなく何も動くことはありませんでした。
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