メモ

●2007.11.01

・旧長崎刑務所の報告

旧長崎刑務所 旧長崎刑務所

建築家 architects
JIA 2008 /1月号掲載記事
シリーズ「建築の公共性」寄稿

存続することで生み出される貴重な建築遺産はだれのものか。

JIA環境行動委員(九州支部) 中村享一

旧長崎刑務所は、明治33年(1900年)長崎村片淵郷から諫早村原口名(現在の諫早市野中町)に移転し、今から100年前の明治40年(1907年)明治政府によって建設が行われました。旧長崎刑務所は千葉、金沢、奈良、鹿児島とともに五大監獄といわれ、近代建築の粋を集めたレンガ造りで建設されました。五大監獄を設計したのは全て建築家山下啓次郎氏によるもので、旧長崎刑務所は近代建築の最高傑作の一つでした。

旧長崎刑務所の解体計画が進んでいるという噂を聞き情報収集を始めようとしていた矢先、5月26日付の長崎新聞で「旧長崎刑務所来月、解体へ」を知りました。新聞には「空き家状態で老朽化、姿消す明治建築。市民グループが跡地活用アイデア募る」と書かれていました。早速、JIA長崎会代表幹事の佐々木信明会員と連絡を取り合いながら、現地で保存活用を考えている長崎建築士会諫早支部長の栄田元信氏と連絡を取り、栄田氏の案内で6月2日に建築内部を見せて頂きました。

施設の管理と内部公開の受付は、市民グループの諫早レインボーシティが行っていました。平成4年に刑務所が移転し15年間放置されていたので、木造部分は傷んでいましたが、相当に高い技術力と造形力を持った立派な建築がそこにはありました。この建築が文化財として何故指定を受けなかったのか不思議なくらいでした。私は見学を終えて、建築家協会の支部及び本部に対して保存の呼びかけを行うことを栄田氏に約束しました。早速、関係資料を集め、佐々木氏と活用要望書の内容を練って、井上福男九州支部長・仙田満会長に直接交渉を行いました。

JIAからの活用要望書は、9月3日に栄田氏と長崎会代表幹事の佐々木氏が、吉次邦夫諫早市長宛に提出しました。
http://www.kt.rim.or.jp/~kk01-kad/kentiku/youbousyo/070903_nagasaki.pdf

<解体着手した中での市民フォーラム> 8月31日には諫早市高城会館で市民フォーラムを開催しました。一般市民や報道関係者など約70人が参加しました。最初に旧長崎刑務所の実測調査を行った法政大学の高村雅彦先生の基調講演が行い。その建築の歴史や建築技術など当時の先端性などスライドを交え報告しました。ちょうど現地では基礎構造にレンガ造アーチ状が見つかっていたので、「世界的に見てもこのような基礎構造は類がない」と、報告していました。

続いてのシンポジウムは私がコーディネーターを行いましたが、現場や所有者との関係がデリケートなタイミングだったので、不安な中でスタートしました。口火は、「貴重な建築群ではあるが、周辺市民のアンケート等により解体もやむなし」とする諫早レインボーシティ推進会(市民団体)の柴原進代表に現在に至る経過を報告して頂きました。次に、長崎県波佐見町にある波佐見講堂の保存に成功した立石聡代表(波佐見講堂ファンクラブ)に市民が運動とどう関ったのかを発表して頂き、JIA池田武邦名誉会員には旧長崎刑務所を視察した印象と、資産としての評価を参加者にわかり易く話して頂きました。

保存活用を考える会会長でもある栄田氏からは「建築は個人、企業のものであり同時に市民の共通財産でもあり、公共建築物の場合はそのウエイトが高いので公共事業者に支援を願いながら行いたい」と発言がなされました。高村先生も栄田氏の発言に続き、「歴史的な建築は正に市民の資産であり、そこで培われた技術や伝承が地元に根付くのであるからこのような問題は真剣に取り組まなければならない。また、解体やむなしとされている諫早レインボーシティ推進派の苦渋の選択に至ったプロセスは評価できるが大変残念だ」と伝えていました。

周辺に居住する市民は、放置されている建築が発生源のシロアリに困っていることと、迷惑施設としての刑務所のイメージに対してその処理が可能であるかという問題を池田氏に投げかけました。池田氏は、「シロアリ問題に対しては処理可能で、後者の問題に関しては、庁舎部分の保存活用を検討の土俵にあげたらと提言している活用を考える会があるので、今後検討を進めていくと地域の大変な資産に成り得る」と回答しました。

会場からの意見としては、諫早近郊には立派な建築が過去に数多く存在したのに殆どが潰された、建築資源をもっと大切にしなければ環境は守れない。旧長崎刑務所は貴重な建築であるので何とか活用する方法はないのかという意見が数人から出た一方で、必要な資金はどうするのか、もう既に解体が始まっているので現実を直視すべきとの厳しい意見も出されました。 市民フォーラムは、このように多くの問題を抱えながらも、諫早市に対して協力をお願いしようという方向で閉幕しました。当日は地元ケーブルテレビの取材が入っていたので、その模様は間接的に市民に報道されました。パネリストにも参加者にも行政関係者がいなかったのが非常に残念で、この結果を踏まえ栄田氏が改めて行政側にお願いに行くしか方法はありませんでした。諫早市は土地の一部買い戻しの予算処置はできないということで、事業主体者にはなれないということでした。しかし、関係部局が所有者に対して保存活用の要望を伝えるということを約束しました。

一部保存のニュース(11月19日)
 民間所有者が管理棟の一部を保存する方向で諫早市と最終調整に入っていることが11月19日の長崎新聞に載りました。「諫早市が文化財保護とまちづくりの観点から一部保存を要望したのに対し、所有者側が口頭で保存を伝えた。近く正式に文書で回答するという。保存を検討しているのは管理棟のエントランス部分(二階建て)と、正門を含む赤れんが塀の一部(高さ約六・六メートル、幅約二〇メートル)。八月、解体現場から見つかったれんが造りのアーチ形基礎の一部も復元を予定している。」という内容でした。既に多くの建築が解体されていたものの、大変な吉報でした。

 遅すぎた市民運動との批判もありましたが、8月28日から山下啓次郎作品パネル展を諫早図書館で開催し、8月31日には諫早市高城会館で旧長崎刑務所の保存と活用を考える市民フォーラムを行いました。関連した市民の写真展を開催したり、各団体からも活用要望書が提出されるなど様々な活動がありました。メディアにも取り上げられたことで、市民の注目が関係者を動かしたのだと思っています。

建築資産の価値
 旧長崎刑務所の場合は何とか一部を残せる見通しが出てきましたが、ほんの一部しか活用できなかったことは残念に思います。その要因を考えてみると、刑務所跡地の処分方法にあったように思います。再開発されるための条件もなく公売にかけられ、不動産業者に売却されたことに問題はあったように思います。前所有者の財務省は、貴重な建築であるという認識はあったのでしょうか。また、文化財などの指定を行う文部科学省はどうだったのでしょうか。国が提唱する「美しい街づくり」とはどのような方向性を持っているのでしょうか。それは見た目の景観だけではない、と私は考えています。

JIAでも現在、盛んに行っている貴重な建築のファイリングをそのような関係団体に対して知ってもらう環境が必要だと思います。また、我々建築家も市民と共に保存再生の活動や提案を行う社会性を身につける必要があるのではないでしょうか。建築は所有する人々の資産であると共に地域住民との共有資産です。建築ができることによって、また、存在し続けることによって生み出された目に見えない価値を評価する基準が必要になると感じています。

一宇一級建築士事務所
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