Architectural Regenaration Design Conference

建築再生デザイン会議  第一回長崎会議報告


古谷誠章/建築家・早稲田大学教授

 今日までにこの世に多くの建築が生み出され、そして多くがその役目を終えて取り壊された。社会や文化の発展を夢見て建築がつくられ、その喜びの中で、しばしば盛大に、また時にはつつましくとも、しかし例外無くその誕生を祝ってきた。だが建築が解体される場面ではどうか。ほとんどの場合突如として建築の幕が下ろされ見る間に粉々に打ち砕かれて運び去られてしまう。中にはまだまだ壮健ながら、時代の要請に沿うことができずに寿命が尽きるものもある。竣工式の華やかさにくらべると、ずいぶんと寂しく、まるで廃棄物を扱うような冷たさだ。ある日忽然と姿を消すのではなく、ゆっくりと最後まで燃焼するような、そんな建築の終わり方はできないものだろうか。多くの人々に愛されてきた建築には、それに相応しい再生の方法が考えられないか。突如不要品となるのではなく、少しずつ新しい建築に置き換わるような斬新な建替えのデザインはないのか。僕たちは建築をいかに壊し、いかに取り替え、そしていかに残すのかというテーマについてもっと議論を深めなくてはならない。

 こんな趣旨のもとに「建築再生デザイン会議」が今年2月に発足した。議長に建築家の池田武邦、幹事役には九州の建築家中村享一と僕があたっている。この5月2日から3日にかけてその第1回長崎会議が、経営悪化や老朽化を理由に98年3月に閉館し今後の活用法も定まらぬ旧水族館、ならびに長崎市出島のNIBホールを会場に開催された。実行委員長は長崎総合科学大学の建築学科長林一馬教授が務めた。
 各地から集まった会議メンバーやゲストは、初日に長崎市内の保存再生に関連する建築を訪れた。会議設立の端緒ともなった旧長崎市水族館(武基雄、1959年)、日本26聖人殉教記念館と聖堂(今井兼次、1962年)、長崎海星学園校舎(吉阪隆正、1959年)香港上海銀行長崎支店(1904年)、mサ屋本店(1880年代)などである。中でも水族館では一般の諸室のほか、水槽に循環させた海水の影響でもっともコンクリート劣化の激しいとされる最上階のメンテナンス階や、築後40年間本格的な防水改修のされなかった屋上階まで丹念に見て回った。
 2日目は朝から終日、討議に当てられた。冒頭に写真家淺川敏による水族館の現状を被写体としたフォト・インスタレーションが上映された。年月を経て今なお渋い輝きを保つ建築の表情や、そこここに息づくペンギンや満開の桜など生き物の姿が特に印象的だった。風化した建築の惨状を喧伝するのではなく、むしろそこに名残る往年の精気のようなものが瑞々しく写し取られている。
 これに続く基調講演で池田武邦さんは、これまで世界中いたるところで機械技術を用い、自然をねじ伏せながら建築や都市を築いてきたが、その代償として払った犠牲は大きく、山や川や田畑の景観は著しく傷つけられていると述べた。東京もニューヨークもシンガポールも香港も、一見しただけではどこの都市か判別できない超高層ビルが林立し、その一方で、道からも川からも都市空間からも、人々の日常のアクティヴィティーが消失している。
 続いて多くの改修再生建築を手がける青木茂が、既存の骨格構造をフル活用して機能も形も別の建築に生まれ変わらせる考えを述べた。古谷はイタリアの建築家カルロ・スカルパの改修デザインが、ただ古い建築をもとの姿のままに残すのではなく、新旧の要素が渾然一体となってまったく新しい空間を生み出すものであることを紹介した。ジョージ国広さんはこの水族館に込めた建築家の理念を、コルビュジェの影響が色濃く反映された形態や、石という素材、細部に凝らされた意匠などをとりあげて分析した。
 午後は4人のゲスト・コメントで再開した。 東京工業大学の上田紀行氏は『スリランカの悪魔祓い』(徳間書店1990年)などの著作があり、「癒し」の概念にいち早く着目した文化人類学者である。「命」と「生命」は異なり、保存も単に生命を維持すればよいというものではないとし、また建築家はこれまで古びることで価値を増す建築について十分考えてきたのかと疑問を呈した。
 浄土宗長寿院の小山法龍住職は場所や空間や建築などが「物語」をもつかどうか、語り継ぐべきいわく因縁をもっているかが重要だとした。新たに移り住んできた人々もそれを知って共同体の一員となり、環境に対処する術を学ぶこともできる。
 建築とはいったい誰の持ち物なのかと疑問を投げかけたのは、長崎でタウン誌を編集する川良真理さんだ。建築主や所有者だけでなく、住む人使う人も持ち主なのではないか、水族館では長崎のすべての人々が長い時間思い出を紡いできたはずである、これからも長崎の人の新しい財産だと訴えた。彼女たちの運動で保存再生が実現した香港上海銀行では、建築を活用するために館内にはカフェが組み込まれ、さらに主階のホールもコンサートやパーティにも利用できる。
 立体映像研究者の長崎総合科学大学の竹田仰教授はこの水族館の替わりとなる新しいペンギン水族館の中で、コンピュータ・グラフィックを用いる仮想水族館をプログラムしている。建築を保存する場合でも、ただ元の姿を再現するのではなく、見る人に再発見される建築が必要なのではと提言した。その後の話題は極めて多岐にわたったが、紙幅の都合上そのごく一部を紹介すると、「なぜ建築の中に継承すべきDNAをなぜ埋め込めなかったのか」(岡田昌治/NTT/情報技術)、「水族館は現状のままでも3分の2は使える。あとは残そうとする意志次第、さっさと壊さずに暫らく放っておけないのか」(後藤治/工学院大/文化財修復)、「体で感じる魅力のある建築、あんまりきれいに直さないで」(藤江和子/インテリアデザイナー)、「建築も呼吸をし、飯を食うように人が入り続けねば」(横河健/建築家)、 「周辺を良くできるような再生を」(松岡恭子/建築家)、 「人々が海や山を見つめてきた入口ホールの額縁の意味が大きい」(工藤和美/建築家)、「これを建築の再生を考える契機とすべく、所有者である長崎総合科学大学に是非ともフロンティア精神を持ってほしい」(三井所清史/建築家)等々、それぞれに示唆に富んだ。
 今回の話題となった長崎市水族館は非常に特別な建築である。水族館という性質上、潮風と海水によるコンクリートの疲労が早かったのも確かだが、その原因は明らかに長年にわたって建物に適切な維持管理を施して来なかったためだ。もちろん独立採算の苦しい経営状態で、大規模改修の費用を予算化することは簡単ではない。しかしそれはこの館に限ったことではない。日本中いたるところで同じようなことが起きている。要は市や市民が、ひいては長崎の人だけに限らず僕たち皆が、それをそのまま棄てようとするのか、否かに関わっている。
 原爆投下で疲弊した都市に再び子供たちの歓声を響かせるために、他ならぬ故郷の人々のために心血を注いだ建築家の熱情が、年を経てなお人を感動させる名建築を生んだ。こんなに充実した質の高い公共建築は、滅多に無い。そのように人一倍祝福されて誕生したはずの建築が、たった40年の年月でかき消されようとしている。
 一個の生物として人に必ず死期が訪れるように、形ある建築にも必ず寿命は訪れる。しかし建築はその形があることでこそ、それを生み出した人々のことを語り伝えることができる。建築はただ長寿命で長持ちすればよいというわけではない。変転する時代を超えて建築が生き生きと使われなければならない。僕たちはまだまだ建築の終末とその転生について考えなくてはならないだろう。
 この議論はこの秋の11月3日、4日、早稲田大学大隈講堂での第2回東京会議に引き継がれる。来年にはさらに第3回福岡、第4回京都での会議が予定されている。
 議論はまさに緒についたばかりだ。

(confort 2000年8月号より) 


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